今日、新聞を読んでいて、ある記事の一部に違和感を覚えた。

定年後の暮らしについての調査結果を紹介していたのだが、
私が違和感を覚えたのは、
34.6%もの人が「定年後も働かないと社会とのつながりが絶たれる」と回答したということ。
仕事を通して社会参加を実感している人がいるのは普通に理解できる。
しかし、社会参加を実感している人が仕事をやめた後、社会とのつながりが切れてしまうとはどういうことなのだろう。
仕事をやめた後に社会とのつながりが絶たれると言うことは、
仕事をしている時には社会とつながっていることが前提になっている。
自由な時間が増えれば、やりたいだけ、必要な分だけ、好きなように社会参加できるではないか。それができないとはいったいどういうことなのか。
この人たちは、これまでの社会参加を通して、何のために何を積み上げてきたのだろうか。
失礼な言い方かもしれないが、この人たちは最初から社会とのつながりなどなかったのではないか。
「つながりが絶たれる。」と他人事のような言い方をしているが、誰がこの人と社会とのつながりを絶っていると言うのだろう。
社会とはそんなにもハードルが高くて閉鎖的なものなのか。
実は、私自身は、仕事をすればするほど社会から遠ざかってしまうような感覚を持っている。
私の場合は、地域の中でやってみたいことがあっても、所属している組織に縛られ、思っていることを発言することさえもできないでいる。
どんなに忙しくたくさんの人とやり取りをしていても、それは組織の歯車の一部としての動きであり、私自身が社会参加しているのとは意味が違う。
だから、早く仕事から自由になり、地域社会の中で本来の役割を果たしたいと考えている。
社会とはフォーマルなものだけではない。
むしろインフォーマルなところに本質があり、能力や立場などの違いを乗り越え、私たちを広く包み込むものであるはずだ。
社会が堅苦しく形式張ったものになっているとすれば、それは本来のあるべき姿ではない。私たちの生活に近いところに取り戻さないといけない。
社会とのつながりなど切ろうとしても切れるものではない。
白々しいことを言わずに、いつでもどこからでも参加すべきだ。どんな人にも必ず役割がある。