民主主義は結局のところ混乱するだけ。独裁者だけが世界を変える力を持つ。

現代社会は、民主主義が有効に機能しているという実感を感じることができていない。

当たり前のことだが、どのコミュニティにおいても思想や生活様式は多様である。

期待された民主主義は、公平で有効な落としどころを見つけ出すことが出来ず、

結果として、いたるところに腐敗と不満が渦巻いている。

「民主主義的発想ではいずれ行き詰まり、結局何も決められないのではないか。」

人々はそういう風にも感じ始めている。

そして、世界はいつまでも停滞が許される状況にはない。停滞があらたな問題を引き起こし、事態はさらに複雑で危機的なものになっていく。

必然的に社会は、複雑で重苦しい事態をも突き動かす圧倒的なパワーを渇望する。それがトランプやドゥテルテなどの台頭に現れているのではないか。

行き詰まったコミュニティの運営は結局のところ独裁者に委ねられることになる。

私たちは、好む好まないに関係なくこの現実を受けとめるしかないのではないか。

客観的に現実を受けとめることをしないと、現実を変えることはできない。

いつまでも自分たちにだけ都合のいい解釈をしていても現実は変わらない。

また、正論を主張し続けたり批判することも大切ではあるが、

結果としてそれが事態の固定化にしか繋がらないのであれば、それは間違いであると言わざるを得ない。

政治は結果が全てである。

そして、万人が納得する政治はあり得ない。

そうこうしているうちにも、

社会の分断が鮮明になるばかりでいつまで経っても問題の解決に繋がらないのであれば、そのストレスに大衆はいずれ耐えられなくなる。

であれば、

大衆の心に劇薬を注入し、気持ちよく騙し続けることが世界的な幸福を最大化させるもっとも現実的な手法であるという発想が出てきても不思議ではない。

現代社会を変える必要があると本気で考える者であれば、好むと好まないに関係なく、自ら独裁者になることを考えるしかない。

これが現実なのではないか。

世界の現象を客観的にとらえ、人々の心を動かし、その流れを変える使命を帯びている人がいるとすれば、

それは私利私欲はおろか自己実現ということからさえも完全に自由で超越している魂なのではなかろうか。

独裁者も、役割をもって天から降ろされてきたカムイに違いない。

あるエカシの話を聞いていて、そんなことを思った。

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