死者の魂がどうなっているのかはわからないが、私自身はいつも身近なところにあると感じている。

特に、祖父と父と次女は私から離れることなくいつも見守ってくれている気がしている。

もっと言うと、祖父や父や次女だけでなく身の回りの物にもたくさんの魂が宿っていると感じている。

実際、物に対しても心を込めて付き合っていると、長く役目を果たし続けてくれる。

長年乗り続けている車やバイクとは日常的に会話しているから不調を放置したりしない。失礼なことはできないから、いつまでも車内を散らかしたままにすることもない。

財布、ペンケースなども、中身のカードや筆記用具も含めて失礼にならないよう、頻繁に整理整頓している。

蒲団や衣服も、感謝の気持ちとともに使ったらきちんとたたむ。

カーテンは朝になれば明けて、暗くなったら閉める。

届いた書類には必ず目を通して適切に処理する。

これらが十分にできていない時は、自分が周囲から切り離されてしまっているようで、どことなく不安定な感じになる。

とにかく、私を取り囲むたくさんの魂が私を見守ってくれている。

人間も他の動植物と同じように自然の中に生まれ育ってきた。身の回りの全てのことに感謝し自然とともに生きてきた長い歴史がある。

そのせいなのか、どこにいても全ての物に魂が宿っていて、いつも私を見てくれているような気がしている。

無数の魂が、私が順序立てて成長できるように、色んな出来事を目の前に運んでくれているとしか思えない。

いずれ私も死ぬ。死んだ後に魂がどうなるかはわからないが、後悔しないように今をとことん生きるしかない。

何らかの役割を背負い、「よし、いっちょうやってみるか!」という意気込みを持って生まれてきたような気がしている。

何をするつもりで生まれてきたのか少しずつ思い出してくると、合わない人や場所とは波長がズレていることにも気づく。

果たすべき役割と向かい合うためには、徐々に自分の居場所も変えていかざるを得なくなる。

やはり、どう考えても導かれているとしか思えない。

どこに向かって歩くのかは全部自分で決めるのだが、

真っ暗闇の中で闇雲に決めているわけではなく、身の回りのたくさんの魂と会話しながら決めている。

未知の世界で不安もあるが、自然な流れに乗っていくだけだと思っている。