三国志と武漢

新型肺炎が猛威を振るう中国の武漢(ウーハン)が事実上封鎖状態となっている。

長江中流域の江漢平原東部に位置し、古くから中国政治経済の拠点の一つとして発展してきた武漢は、三国志マニアにとっても外すことのできない場所である。

※武漢は江夏の辺り

後漢時代の荊州一帯は魏呉蜀の境界線が複雑に交わりあい、何度も激しい戦闘が繰り返されてきた。

武漢で疫病(新型肺炎)と聞くと、208年の赤壁の戦いを思い出す。

破竹の勢いで中国統一を目指す曹操が長江まで南下し、孫権劉備連合軍と赤壁で激突!

南国の風土に慣れない華北出身の曹操軍の兵士が次々と疫病に倒れ、最後は孫権劉備連合軍の火攻めにより壊滅したという、中国の歴史を大きく変えた大事件である。

赤壁古戦場は、武漢(三国時代の荊州江夏郡)から南西にわずか百数十km。

赤壁の戦いも冬であり、当時流行したのも肺炎ではないかと思って少し調べてみた。

昔から人が移動することによって疫病が流行することが知られているが、

大規模な戦争があると人が移動することに加え衛生状態が著しく悪化するため、病原菌が広範囲に拡散することになる。

三国志の時代の建安年間には5度も大規模な疫病の流行があったというから、各地で度重なる戦争が疫病の流行を引き起こしてきた可能性が高い。

当時流行したのは肺炎ではなく腸チフスではないかと言われているが、

衛生状態が改善されている現代においても新型の感染症の拡散を防ぐのは容易ではない。

今回の騒ぎが落ち着いたら三国志をテーマに武漢にも行ってみたい。

劉備が孔明を軍師として迎え入れるために繰り返し訪ねた、「三顧の礼」で有名な襄陽の古隆中。

関羽の居城であった荊州古城。

孫権が築いた物見櫓の黄鶴楼。

そして、赤壁古戦場。

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