1990年秋にDR250Sを購入してから今年で31年目になる。

1990年冬のDRと私

最初は黄白のDRを探していたのだが、小平のレッドバロンでこいつを見た時、ビビッと運命の出会いを直感した。

30年経った今も衰えを見せない。必要に迫られていくつかの部品交換はしてきたが、エンジンもフレームにも不安を感じたことがない。

DRは完全に私の体の一部となっている。仕事中も、雪に閉ざされて乗れない時も、年中一緒にいるような感覚がある。

変だと思われるかもしれないが、日常的に私の胸の中でDRが話しかけてくる。

「次はあそこに行こう。そしてあれを見に行こう。」と言ってくることもあるし、

「その仕事は無理がかかるから、その辺でやめておけ。」とか、「そのことなら、あの人に会って話をしておいた方がいいぞ。」などと言ってくることもある。

夢の中でも当たり前に出てくるから、独り言を言っているとしたら、そのうちの半分くらいはDRが相手だ。

家族より長い付き合いなので、その姿を見るだけで、なんとなく調子がわかるような気がする。

だが、私はバイクの構造を理解しているわけではない。

たしかによく洗車するし、本を読み、ネット情報も集めてはいる。

実際に自分の目で見て、乗って、感じて、少しだけいじって、人一倍考えてきたとも思う。

だが、私が自分で実際にやってきたメンテナンスと言えば、汚れ落としをして、黙視で全体に最低限の気を配ることくらいだ。

オイルやエレメントの交換さえも自分でやったことがない。

たぶん、DRがそれ以上を私に望んでいない。

だからタイヤにもブレーキパッドにもチェーンにもスプロケットにもオイルにもエレメントにもなんとなく気を配るだけで、交換は全て店にやってもらってきた。

だがDRが何を考えているのかはわかっているつもりでいる。

そしてDRは私のことを知っている。

たぶん、全部知ってると思う。