ミニマリストに共感はする

大量生産、大量消費の時代を経て、必要以上に物を持ちすぎない生き方をする人が増えている。

たしかに、持ち物が多いとそれだけで脳のリソースが取られてしまう。気になることが増え、フットワークが重くなったり、やらなくてもいい仕事が増えていたりする。

自分にとって不必要なものは持たないことで、本来向かい合うべきことに集中できたり、物に振り回されることなく豊かに生きることができるという考え方には深く共感できる。

私自身はどうかというと、今はたくさんの物に囲まれて生活している。新しい物がどんどん増えるというよりは、なかなか物を捨てないタイプ。

私の場合、一度迎え入れた物はきちんと使いきらないといけないという気持ちが非常に強い。

まったく使えないものはやむを得ず捨てるが、その時はきちんと使おうとしなかった自分を責めるような気持ちになる。

食べ物は食べられるために、服は着られるために、本は読まれるためにある。

自分から迎え入れておきながら、満足に使いもせずこちらの勝手な都合で捨てるということがどうしてもできない。

使わないまま奥深くにしまいこむのが一番失礼なことだと思っていて、せめて今、手元にあるものからできるだけ使いこなそうと思っている。

しかし、それだけで結構な負担である。私にもできることに限りがある。今ある物を使いこなそうとするあまり、自分が後回しになっていることもある。

それでも縁があってうちに迎え入れた以上、どうしても粗末な扱いはできない。

そんな私はミニマリストの根っこのところには共感できるが、断捨離には感覚的に距離があるようだ。

ちなみに、物を最後まで使いきった時には深い感謝の気持ちで一つ一つ送り出している。アイヌ民族のイオマンテに近いものがあるかもしれない。

言葉では「捨てる」と言っているが、私の中では捨てるということではない。

縁があった物には全て気持ちを込めて使わせていただいているので、いつの間にか私や家族の体の一部みたいになっているものも少なくない。

愛車DR250Sは30年の付き合い。私はDRは生き物だと思っている。

妻の部屋着やパジャマの中には、なんと40年前から着続けているものまである。

だからどんなものにも魂が宿っていると思っていて、今まで使ってこなかったものをこれからも使わないと決めつけたり、捨てることがどうしてもできない。

今まで使えていないことを反省し、これからできるだけ使おうと考えている。

家の中でも脳のリソースがかなり取られているが、今のところこれが私の生き方だと思っている。

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