今は、少しでも変わったことを言うとすぐに叩かれる。思っていることがあっても自由に発言することが難しくなっている。
私の場合、思ってることがあるのに何も言わない状況が続くと、無力感のようなものに包まれる。
そうなると徐々に活動性が低下し、下手をすると精神のバランスを崩しかねない。
情報過多の中、脳の容量が限界に達していて、時々外に吐き出すことが必要になるのだと思っている。解決策としては話すか書くかのどちらかしかない。
現代はこの欲求が満たされずに苦しんでいる人も多いと思う。
核家族化が進みそれぞれが忙しくしている現代では、日常生活の中で誰かに話を聞いてもらえる機会が減っている。独り言をしてもいいが、それだけでは消化不良だし何も残らない。
だから必然的に文字にして残そうとする。紙と鉛筆でもいいが現代であればネット上に書き残すことも多い。読めばすぐに思い出せるし、いつかどこかで誰かに読まれるかもしれない。
自分の中に乱雑に散らかっている中から一つひとつ手に取ってみて、それを自分の中の何かと結びつけて手放していく。話すか書くかで手放していく。
手放すと軽くなる。スペースが生まれて、また何かを仕入れて加工してみようという意欲が湧いてくる。これを繰り返して整理整頓していきたくなる。
本屋で立ち読みしていたら、ナイツの塙が著書「言い訳」の中で面白いことを言っていた。
「アウトプットしないと、新しいデータを入れるスペースが無い。」
まさにそのとおりだと思った。
本来のアウトプットは日常生活の中で喋ることがメインとなるべきだと思うが、現代はそれがなかなか叶わない。私たちはパソコンやスマホに支配され、以前と比べて気軽に喋ることが著しく制限されている。
若いうちはいいかもしれないが、年を取ってからは事情が違う。気軽に話ができる相手がいるかいないかで大きく変わってくるはずだ。

これからはさらに年寄りが増える。日常の中で年寄りの話を聞く習慣を取り戻していきたい。
年寄りは生気を取り戻すに違いない。膨大な知識と経験を結びつけ、次々と若い人たちに手放していけば、脳の中に新しいスペースが生まれる。
スペースができれば新たに何かを取り入れ、再構築しさらに何かを手放すことを繰り返すだろう。環境さえあれば、この力はむしろ年齢とともに磨かれていくと思う。
若い人は智恵を引き継ぐことで年寄りに感謝する。同時に、自分が年老いてからの役割をもそこに見出す。
年寄りが話せば若い人も元気になる。