2019年 自然災害と向き合う

近年、国内に限らず大規模な自然災害が頻発するようになった。大地震、大型台風、風水害等による甚大な被害が世界中のあちこちで起きている。

また、グローバルに膨らみ続けてきた資本主義経済は二酸化炭素排出量を増やし続け、温暖化による地球環境の変化に誰もが不安を抱いている。

つい30年ほど前まではみんなが能天気でいたことでも、今はそうではない。何気なく過ごしている今この瞬間にも、言いようのない不安に包まれながら私たちは生活している。

こうした不安は解消できるのか。

私たちは科学にその期待をしてきたのだと思う。科学が人類の不安を取り除き、全ての人の生活を豊かにできると信じられてきた時代があった。だが今、科学が私たちの生活を守ってくれると感じている人はほとんどいないだろう。

では私たちは膨れ上がる不安とどのように向かい合えばいいのだろうか。産業革命以後、あらゆる問題解決を科学に委ねる発想に支配されてきたようにも思えるが、科学は現代の不安を解消できるだろうか。科学以外に解決法があるだろうか。そもそも科学の目的とはなんであろうか。

現代の科学はそのスキルが広く一般に共有されているわけではない。直面する問題の解決を科学に頼る発想であるならば、専門家以外は全員他力本願になってしまう。

また専門家はそれぞれの特定分野において高い専門性を有しているが、それだけでは様々な要素が複雑に絡まり合う解決すべき事象に対して、現実的に有効な道筋を追求しているとは言えない。

あらゆる分野の知見を結集し、地球規模の問題に対峙していく必要があるはずだが、そのような視点で活動している研究者が今の世界に何人いるだろうか。

では、私たちはなす術なく不安に苛まれながら生きていくしかないのだろうか。拭えない不安に支配されているかに見える現代人に対し、科学はどうあるべきなのか。

今の科学は、私たちの心の在り方を度外視し、ひたすら個別の技術を追求しているように見えるが、果たしてそうした在り方が科学的と言えるのかどうか。冒頭にも触れたがそもそも科学の目的とは何だろうか。

科学は私たちの生活の質の向上を目的としているのではないのか。科学技術の進歩が無条件に私たちの生活の質の向上につながるのならよいが、実際のところどのような作用を及ぼしているだろうか。技術を追求する過程において、副作用の可能性や将来予測についても同様かそれ以上の注意が注がれないと、科学的な姿勢とは言えないのではないか。

おそらく今の私たちは毎日の生活と先進科学を切り離して考えすぎている。科学とは、本来、生活に密着したものである。そこに生活を豊かにするためという目的意識があるのなら、人類の心身の構造についても、大前提として基本的な知識を社会全体で横断的に共有する必要があるはずである。そうした現実を作り出すことも科学の守備範囲なのではないか。

生物は地球から生まれ、数十億年にわたり様々な環境変化の中で淘汰、適応してきた。人類もそうした長い蓄積を経て現在のような心身の構造になっている。その上で、今、地球と人間社会に何が起きていて、これからどうなっていくことが予測されるのか。ここを掘り下げ、今とこれからに生かしていく姿勢こそが科学に求められるのではないのか。

あらためて人類の抱える「不安」とは何かについて考えてみる。今、私たちの周りで起きている事象だけをとらえるなら、大地震が起きようが強烈な風水害でどれほど甚大な被害に直面しようが、それは何かが水に流された、風で飛ばされた、人間の住めない場所ができた等という、ただの事象でしかない。それ以上でもそれ以下でもない。そこに悲劇性を感じてショックを受けたり不安になったりするのは、その人がそう思ったからに他ならない。「不安」とは人間が抱く、非常に感情的で主観的なものであると言える。

こうした感情、不安が人間にあるのは何故なのか。人類も他の動植物と同じように自然から生まれ、自然に育まれ、自然の力を強く感じながら生を重ねてきた。だからこそ私たちは自然環境の変化に心が大きく揺さぶられるのではないだろうか。冷静に考えて、こうした視点が今の科学の出発点にならないとおかしいと私は思う。

そうした時に、自然との共生や循環思想がベースとなった精神文化に学ばない姿勢は非科学的であると言わざるを得ない。著名な研究者でなくても、専門家でなくても、特別な勉強などしていなくても、誰だって普通に思考を巡らせれば、当然にそこに考えが及ぶはずである。

北海道の大地には、縄文からアイヌ民族に伝わる共生と循環の精神文化が今も息づいている。先人から引き継がれてきた「自然に対する畏敬の念」がここにある。普段私たちは自然から切り離された生活を送っているが、北海道独自の精神文化に、現代人が心豊かに生きていくための鍵が隠されているような気がしてならない。

私自身も地球環境の変化に不安を抱いているが、アイヌ民族に伝わる精神文化を学ぶうちに、心の奥深くに眠っていたものに気づき始めたような感覚がある。ただ不安に包まれているだけではない感覚。私たちを優しく包み込む大自然に感謝する心。朝起きてすぐに「今日も美味しい空気をありがとう。美味しい水をありがとう。」と、心の底から感謝の気持ちが溢れ出てくる。これだけで幸せな気持ちになり、この気持ちを次の世代に引き継いでいきたいと思う。

もちろん、先住民族の精神文化を学びさえすればあらゆる不安が一気に解消されるわけではない。だが、北海道に生まれ育ってきた者として、アイヌ民族の方々とともに手を取り合い、学び合い、先人から伝えられてきた大切な教えを、今とこれからに生かしていくという姿勢はとても大切であるように思う。

心が変われば行動が変わる。小さな行動が積み重なれば、しだいに環境への負荷のかかり方も変わっていく。

遠い未来のことになるかもしれないが、小さな意識の積み重ねが環境を変えていく力を持つということも科学的に受けとめられ、社会的に認知されていくようになるだろう。あちこちで見られるようになった地道な歩みが、北海道を中心に広がっていくと思う。

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