2019年の暮れ、私は肺炎になっていた。

12月の頭から多少の咳があったが、ある日突然に胸が痛くなり、ちょっと体をひねったり小さい咳が出ただけで右胸に激痛が走るようになった。最初は咳との関連があまり感じられなく、筋肉痛を疑っていたくらいで放置していたが、10日経っても良くならない。その間、咳がだんだん酷くなり、痰に血が混じり始めた。体力気力も落ちてきたのでこのままではダメだと思い、かかりつけの病院に行った。

病院では経過と症状からまず肺炎が疑われ、胸部エックス線撮影、血液と痰を検査。その後、すぐに点滴で抗生剤が投与された。入院するほどではないので、一週間分の薬が処方され、現在療養中(6日目)である。

肺炎になった場合、一般的には38度前後の発熱があるらしいが私にはそれがなかった。受診前後の数日間、36度台後半の微熱かなという感じはあったが、はっきりと「熱がある。」と言えるものではない。

また、血液検査の結果説明を受けたが、炎症反応を示す白血球数は11.7で基準値を僅かに超える程度。CRP値も医師は20くらいを予想していたらしいが5.45に留まっている。炎症反応はあるにはあるがそれほど強いものではない。

だが、エックス線画像を見ると右肺の一部がはっきり白くなっている。医師は「肺炎なのは間違いないので、当面は肺炎治療に専念するが、現時点で肺炎以外の病気を完全に除外できてはいない。」とのこと。

腫瘍のようなものが存在している可能性も否定はできないらしい。今すぐには判断ができないので、肺炎が治ってから再度胸部撮影等により確認することになっている。

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

点滴を受けている時、石川啄木のこの短歌が頭に浮かんでいた。この歌の解釈は人それぞれだが、小学生の時に私が抱いた印象は、病気に苦しむまだ若い啄木が一人涙を流している姿。実際には肺の病気になる前に書かれたものらしいが、いずれにしても人生の儚さのようなものを感じさせる。

実は今回、少しだけ体力と気力が下がってくる感覚を味わったが、その中で意外だったことがある。このまま体力気力が落ちていったとしても、焦りとか恐怖とかを感じることはないかもしれないと感じたこと。

どうやら体に起きていることをそのまま受け入れているようなところがある。

また、いつこの世での役割を終えたとしても、チャンスがいくらでもあるような気がしている。ジタバタしてもしなくても、治るものは治るし治らないものは治らない。一応治そうとはするが、私は、体をやたらと切り刻んだり体内に大量の異物を入れ続けるようなことは違うと思っている。

人間の心と体は何十億年もの歳月を重ねて今のように仕組まれている。どんな理由があろうと、本来異物など必要ないはずだ。仮に短期的局所的な効果があったとしても、必ずどこかに無理がかかるに違いない。

私はご先祖さまから授かったこの体をそのまま感じて、そのまま大切に、全ての運命を受け入れ、人生を全うしたい。長らえることに意味があるのではないと思っている。長くても短くても、与えられたこの体で、その時できること、なすべきことをするだけ。そうしていればいつ死んでも後悔することもないはずだ。

私は、突きつけられる現実を受け入れられずに迷ったり悩んだりしていること自体が、今を生きていないことのように思っている。

もちろん、これからどう感じるかはわからない。だが少なくとも今回は焦りも恐怖もなかった。何故そう感じるのか。3年前に19歳で旅立っていった次女はどこかで生まれ変わってやりたいことをやっている感じがしているというのもあるのかもしれない。

北海のカムイの原の片隅に われ空見上げ 星を数える

胸の痛みはほぼ無くなったが、咳と血痰がなかなか減らない。きちんと調べて体を大切にしようと思う。私はまだ50歳で家族を守らねばならないし、個人的にやりたいこともたくさんある。