私はオフロードバイクで林道に入るのが好きだ。
山に棲む無数の精霊たちと会話しつつ、景色を眺めながらトコトコ走る。
50を過ぎた今はそんな感じだが、
1990年頃はちょっとしたオフロードブームで、
若さにまかせ、数人で刺激し合うように山奥に突っ込んでいったこともある。


これは1991年秋。
寮生3人で秩父から西の中津川林道を走った時の写真。
赤いパンツが、1年先輩でヤマハDT200のK林Y太郎さん。
黄色いのが、同期でBAJA250のT永。
そして青いのがDR250Sの私。
朝9時頃、のんびりと練馬にある寮を出発。
寝ぼけたままのような頭で、飯能、名栗経由で秩父へ向かう。
のどかな景色が続く。
ポカポカ気持ちよくて、居眠りしそうなくらいのんびり走っていたのだが、
大滝温泉から中津川沿いのダートに入るなり、Y太郎先輩のDTが豹変する。
信じられない速さでコーナーを突くDTの後を、
T永と私が必死に食らいついていく。
速い。信じられないくらい速い。ラインの取り方も自分たちとは全然違う。
そういえば、Y太郎先輩は昨晩、
寮の玄関ホールにDTを入れ、ゴリゴリのオフロードタイヤに履き替えていた。
大滝温泉までのタラタラ走は、
ダートに辿り着くまでニュータイヤを温存していたからにほかならない。
私とT永のバイクにはDTのような戦闘力はなく、ついていけるはずもない。
しかし、先輩が行くならついていく。
マシンやタイヤの状態がどうであれ、ついていく。
こんな時、T永と私はなんとなく気が合う。
加減速やラインの取り方、感性や考え方が似ている感じがあって、気づいたら一緒に走っていることがある。
Y太郎先輩について行くのはラクではないのだが、
T永との呼吸が合い出し、なんとなく心地好い。
DTとの差はあっという間に広がるのだが、
果敢すぎるDTは何度も転倒し、そのたびに私とT永が追いつく。
DTは擦り傷が増えただけでなく、
激しい衝撃でマフラーやウインカーなど、色んな部品が外れかかっている。

部品が外れ落ちたりしないよう、
時々確認しながら、
3人で道端の枝や草や縛り、外れかけてはまた縛ることの繰り返し。
だが、何度転んでも先輩は怯まない。
DTの排気音がけたたましく秩父の山にこだます。
ソロの林道ツーリングではほとんど疲れを感じない私だが、この時はさすがに疲れた。
三国峠から川上牧丘林道を南下して山梨に辿り着いた頃には、
景色を楽しんだりする余裕もなく、文字通りヘロヘロになっていた。
暗くなってからは、中央道を使って練馬の寮に帰還。
若者にありがちなめちゃくちゃな弾丸走だった。
こういう走りは疲労が強いが、なんとも言えない達成感もある。
同期や後輩となら自分のペースを主張することもできるが、
先輩がいれば、全体の流れは先輩のペースになる。
その中にあっても、T永との走りは私の中にも刻み込まれており、思い出すたびにニヤニヤしてしまう。
あらためて地図を確認し、
もっと正確に思い出しておきたい。そしてもう一度、中津川林道を走りたい。